また明日



ふと気がつくと、教室に居るのは私一人になっていた。
 夕日が教室全体を茜色に染めている。
 私は教室にある時計を見上げ、今の時刻を確認した。長い前髪の間から見える時計の針はちょうど五時半を示していた。
 ……帰ろう、ここに居ても特にすることもない。
 私は家へ帰るときはいつも一人だ。理由は簡単、一緒に下校するような友達が一人も居ないからだ。
私は他人が嫌いだった。友達とかそういう関係が煩わしくて仕方がなかった。私は意図的に自分の周りに高い壁を作り、他者を遠ざけた。その壁の象徴がこの目を覆い隠すほど伸びた前髪なんだと思う。
私が教科書類をかばんに詰め終えるとほぼ同時に教室のドアが開いた。
「あれ、まだ誰か居たんだ」
その人は****君だった。彼は私のクラスメイトで名前順の関係上、日直の当番を一緒にすることが多かった。だから名前も覚えていた。けど、それだけの関係だった。
「こんな時間に何やってるの?」
 前髪の向こうで****君が面倒くさそうな表情をするのが見えた。しかし、その表情は面倒くさいのではなく彼の地であることを、私は数回の日直で学んだ。
「ううん、別に。今、帰ろうとしていたの」
「ふうん……」
彼が今どんな表情をしているのか前髪のせいでよく分からなかった。
「じゃあ、もう帰るね」
「あ、ちょっと待って」
 もう帰ろうと席を立つと彼は私を呼び止めた。彼は数回、右手を握ったり開いたりして、そして一度強く握りそれを開くとそこには、
「…え?」
いつの間にか三本のヘアピンが乗っていた。
「ふうん、なるほどね」
彼は一人で納得すると私に向き直り、
「ちょっと失礼、」
と言って私の髪に触れた。
「あ…」
「ふむ、やっぱりね」
 久しぶりの前髪を通さないクリアな視界で見ると、彼の面倒くさそうな表情の中に少し得意げな感じが含まれているのがよく分かった。
「お前さ、やっぱ目隠さないほうが全然良いよ」
 私は、いま彼につけてもらったヘアピンに触れてみた。なぜだか、少しだけ暖かい気がした。
「気に入ったなら、そのヘアピンやるよ」
「え、けど…」
「いいんだよ、俺には必要ないものだし。それに、元々俺のじゃないし…。ま、気にすんな」
彼は微笑みながら私の頭を撫でた。人に触れられるのはあまり好きではなかったが不思議と不快な感じはしなかった。いや、むしろ……
 私は何だか気恥ずかしくなって顔をふせた。
「あ、悪い。まあなんというか、つい」
 彼は慌てて私から離れた。夕日で隠せないほど顔を真っ赤にして照れている。きっと私も同じくらい顔が赤いことだろう。
「あ〜、じゃ俺帰るわ。見たいテレビあるし」
 気まずい雰囲気から逃げるように彼は教室から出て行った。しかし、すぐに戻ってきて、
「忘れてた。残りのヘアピンもやる」
私に二本のヘアピンを手渡した。
「じゃ、今度こそ、さようなら」
「あ、うん。さよなら」
「おう。また明日な」
 彼は小走りで教室を後にした。今度は戻ってこないようだ。
 私は手に乗った二本のヘアピンをそっと撫でてみた。
「……さよなら、なんて誰かに言ったのいつ以来だっけ」
 彼の最後の言葉を思い出した。
 また明日。
そういえば、驚いてばかりでろくにお礼も言えなかった。明日ちゃんとお礼をしよう。
「さよなら、****君」
 手の中のヘアピンにまだ彼の温もりが残っているような気がした。
「また、明日」
 その温もりが世界から離れかけていた私を繋ぎとめてくれた。
 前髪を通さずに見る夕日があまりに綺麗で、何だか目にしみて。暖かい涙が頬を流れた。





佐倉さんに書き込まれた荒らしです。勝手にこっちに移行しときました。
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